東京高等裁判所 平成8年(う)1281号 判決
被告人 小澤和明
〔抄 録〕
1 関係各証拠によれば、警察官が被告人に対し職務質問を開始してから、被告人が尿を提出するに至った経緯について、以下の事実が認められる。すなわち、
平成七年一一月四日午前一時頃、東京都足立区加平二丁目二二番先路上において、パトカーで警ら中の警視庁綾瀬警察署小野寺幸雄警部補は、エンジンをかけたまま歩道との間のガードレールに接着して駐車中の被告人車を発見し、同車のフロント部分以外の窓ガラスに黒フィルムが貼ってあることもあり、不審に思い、同車の窓ガラスをノックして、被告人に対し職務質問を開始した。被告人は、頭が痛いので仮眠していたと応答し、免許証提示の要求に応じたが、目が血走っており、左手を助手席側のセカンドバッグに掛けたり、右手をポケットにやるなどそわそわして落ち着きがなかったため、小野寺が所持品を見せてくれるように求めたところ、被告人は、「見せる必要はない。令状を持っているのか。」などと大声で怒鳴り、これを拒否した。このため、小野寺は、同僚の神瀬秀幸巡査に命じて応援要請をし、更に、車内を見せてくれなどと説得を続けたところ、被告人は、「見たければ見ろ。」と言って、セカンドバッグやビニール袋等を路上に放り投げた。その頃、警察官合計四名の乗車したパトカー二台が現場に駆けつけ、結局パトカー三台が被告人車の前後及び右側に駐車し、周囲を取り囲んだ。小野寺が、セカンドバッグを拾い上げて、被告人車の傍らに行き、「これを見せてもらう。」と言って、バッグの中身を確認し、「車内も見せてくれ。」と言って、車内を覗き込むようにしたところ、被告人は、「見るなら勝手に見てくれ。」と言って、助手席の上のタオルの下にあった本件覚せい剤等の入った財布が発見されないように運転席から助手席に移動した。小野寺は、応援の警察官二名に指示して後部座席やトランクルームを探させ、自らも運転席側や助手席床などを探したが、わいせつビデオテープらしいビデオテープ以外の物は何も発見できなかった。この間、被告人は、「何もなかったら帰してくれるんだろう。何もないだろう。」などと言っていた。被告人は、車内の検索が終わった後、ふたたび運転席に戻った。
一方、神瀬が免許証に基づいて、身上照会した結果、被告人には大麻取締法違反及び覚せい剤取締法違反の前歴のあることが判明していたので、小野寺は午前一時二〇分頃、同署生活安全課の溝口紀佐夫警部補及び清水浩巡査長の応援を求めた。約五分後に現場に臨場した溝口は、小野寺から、車内を検索したけれども覚せい剤の発見には至らなかったなどと報告を受けたが、被告人の前歴や態度等から覚せい剤使用の疑いを持ち、警察署に同行した上で、事情を聴取し、尿の提出を受けようと考え、被告人に警察署まで同行してくれるように要請し、清水が被告人車を運転し、後部座席に神瀬が同乗するように指示した。被告人は、清水に言われて、助手席に移動し、清水が被告人車を運転して、前後を警察車両に挟まれ、綾瀬警察署に向かった。この間、被告人は、清水に何回か「行きたくない。」と言ったが、清水は、「警察に行って話を聞くから。」と言って取り合わなかった。午前一時四五分頃、綾瀬警察署に到着し、被告人は、警察官の指示で二階にある生活安全課の取調べ室に赴いたが、被告人車から降車する際、助手席に置いてあった覚せい剤等の入った財布を帽子の中に隠した上、帽子を被った。
被告人は、溝口から取調べを受けたが、帽子を取るように言われ、帽子を机の上に置いていたが、両腕を見せるように言われて机の上に広げる際、帽子の中の財布を足元に落としてしまい、溝口がこれに気付いたため、観念して財布の中身を溝口が見ることを承諾した。溝口は、午前一時五三分頃、財布の中から本件覚せい剤や注射器を発見し、予試験の結果覚せい剤の反応が出たため、被告人は、午前二時一〇分頃、覚せい剤所持の現行犯で逮捕され、本件覚せい剤等が押収された。被告人の両腕には注射痕も認められた。
被告人は、午前二時三五分頃、弁解録取の手続を受けたが、弁護人の選任について、同じことをやったら、頼みづらいし、今は考えておく旨述べた。午前二時四五分頃から、身上及び事実の概要について、清水の取調べを受けたが、被告人が清水の作成した調書中、車の中を調べた警察官の人数と警察署に来た理由の二点について書き直しを求めたため、清水は溝口に相談した後、被告人の言うとおり、車の中を一〇人位のお巡りさんに調べられた、警察署には来たくなかったのですが行かざるを得ないと思って一緒に来た旨調書を書き直したので、被告人は、右調書に署名指印した。午前四時過ぎ頃から、清水が被告人に尿を任意に提出するように求めたところ、被告人は、調書の訂正の際、清水が怒ったことに不信を抱いていたことなどから、これに応じず、弁護士と相談してから決めるので、弁護士に連絡するように要求した。清水と溝口は、深夜であったことから直ちに弁護士に連絡することなく、被告人に強制採尿もできること、その際の苦痛等を説明しながら、被告人を約三時間にわたり説得したが、被告人が尿の提出に応じなかったので、午前七時一〇分頃、被告人の指定した藤森洋弁護士の自宅に溝口が電話をかけ、被告人が覚せい剤の所持で逮捕されていること、被告人が弁護士の来訪を希望していることを告げたところ、近いうちに会いに行くとの返事であった。溝口は被告人に弁護士がそのうち来ることを伝え、午前七時三五分頃、被告人は尿を任意に提出した。右尿から覚せい剤が検出された。
2 以上の経過に照らし、まず、所持品検査ないし車内検索の適否について検討する。警察官が被告人車を発見した状況にかんがみれば、警察官が被告人に対し職務質問を行う必要性は高く、その後の被告人の挙動、警察官の質問に対する応答振り、被告人の前歴等からすると、職務質問に付随する所持品検査の必要性も十分認められ、警察官が、被告人の投げ出したセカンドバッグや被告人車の中を調べた行為は、職務質問に付随してなされた所持品検査として適法であると解するのが相当である。すなわち、被告人は、車外にセカンドバッグを投げ出せば、警察官がその中身を調べることを十分認識しながら、「見たければ見ろ。」と言って、そのような行為に及んでいるのであるから、被告人が右バッグの所持品検査を承諾したことは明らかである。次に、被告人車の中を調べた行為についてみるに、被告人は、警察官の求めに応じて素直に助手席に移動したこと、助手席に移動したことにより、被告人は、本件覚せい剤等の入った財布を尻の下に敷いた状態となったこと、被告人は「見るなら勝手に見てくれ。」「何もなかったら帰してくれるんだろう。何もないだろう。」と言っていたこと、その間、警察官が威圧的言辞や実力行使をした形跡のないことを併せ考察すれば、被告人は、前記財布を尻の下に敷くことにより、警察官が覚せい剤に気付く心配はないものと考え、渋々ながら車内の検索を承諾したものと解するのが相当である。
3 次に、警察署への同行の適否について検討する。警察官らは四〇分以上現場で被告人を職務質問するなどしていたが、この間、現実に交通の妨害があったとも認められず、警察官職務執行法上最寄りの警察署に任意同行を求め得る理由は乏しかったとみなければならない。また、警察官らが被告人を綾瀬警察署に連れて行った態様は、溝口の指示により、清水が被告人車の運転席に乗り込み、エンジンをかけ、後部座席に神瀬が乗車し、警察車両が前後を挟んで警察署に向かっており、その間、助手席にいた被告人は何回かにわたり、「警察には行きたくない。」と訴えていたのである。そうすると、被告人の警察署への同行は、被告人の任意の承諾のもとに行われたとみるのは困難であり、違法と解さざるを得ない。
4 更に、弁護人依頼権の侵害の有無について検討する。溝口は、午前四時頃から被告人が尿の提出に関して弁護士への連絡を要求したのに対し、尿を任意提出するように説得した後、午前七時一〇分頃、被告人の指定した藤森弁護士に連絡しているのであるから、被告人が警察官に要求したのが深夜であることからすると、午前七時一〇分頃弁護士に連絡をした警察官の措置は相当である。また、溝口は、被告人が弁護士に会いたい希望を有していることを告げ、これに対し、弁護士は、近いうちに会いに行くと答えているのであるから、被告人の弁護士と会いたい旨の意思は十分に伝わっており、溝口の電話連絡の内容は何等被告人の弁護人依頼権を侵害するものではない。なお、被告人は、その後も何回か藤森弁護士と連絡をとってくれるように要求したと供述しているが、関係証拠に照らしそのような事実は認められない。
5 最後に、本件覚せい剤及び尿の鑑定書の証拠能力について検討する。前記3でみたとおり、被告人の警察署への同行は、違法と解さざるを得ない。そして、本件覚せい剤の押収手続及び採尿手続も、警察署への違法な同行に引き続いて行われたものであるから、違法性を帯びるといわざるを得ない。しかしながら、警察官は、被告人が覚せい剤を使用した嫌疑を抱き、任意捜査としての尿の提出を求める必要性、緊急性が認められる状況のもとで警察署へ同行したこと、その際威圧的言辞や物理的強制力は何等加えられておらず、被告人も警察へ行きたくないとの意思は表明していたが、それ以上に強い抗議や抵抗はしていないこと、警察署に着いてからも警察官の指示に素直に応じて取調べ室に赴き、取調べ中も退室は求めていないことなどからすると、警察署への同行の違法の程度は大きいとはいえない。
加えて、本件覚せい剤は、警察官による身体捜検の結果発見されたものではなく、被告人が取調べ中に本件覚せい剤の入った財布を隠していた帽子から床上に落としてしまい、足で隠そうとしたところを警察官に気付かれ、被告人から右財布の中身を検査することの承諾を得て発見された上、押収されたものである。また、本件採尿手続についても、それ自体は何等の強制も加えられることなく、被告人の任意の応諾に基づいて行われている。
このような同行の違法の程度及び同行後の各手続の内容を勘案すると、本件押収手続及び採尿手続の違法は、いまだ重大とはいえず、これによって得られた証拠を被告人の罪証に供することが違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから、本件覚せい剤及び被告人の尿の鑑定書の証拠能力は、これを肯定することができる。
(佐藤文哉 金山薫 永井敏雄)